「消化する」ということ

人の味覚は千差万別。

どれが美味しい、どれがまずいというのも人それぞれ。

同様に、価値観や考え方も千差万別。

良薬は口に苦しとよく言われる。

まずい薬を飲みたくないと思うのが普通だが、その苦い薬を飲めば自分のためになると思い、人は我慢してその良薬を口にし、消化させる。

自分とは違う価値観や考え方を唱えられれば、人は反発心を持つ。

それが普通の考え。

だが、そうした考え方もあるものなのかという、考え方の領域を広める意味では、それはむしろ自分にとってプラスに働く。

要は、いかに物事を自分なりに物事を消化させるかが重要である。

良かれと思い作った料理も、実は自分にとっては吐き出したくなるような味だったとする。

が、それをすぐに吐き出すのは簡単だ。

その吐き出した汚物を、せっかく作った人が見たらいったいその人はどう思うだろう?

自分の味覚に合わないのだからそれを消化できずに吐き出すこと自体に、なんの疑問も持たないし、本人の意思なのだから仕方がない。

つまり、その作った人に見られてはいけないのだ。

説教をされたとしよう。

その説教を、「この人何言っちゃんてんの?」と思うのは自由だ。

どう判断し、その人なりの消化をするかは、今後のその人の成長に繋がる。

が、消化できず、その汚物(悪口・グチ)を言った本人に何らかの経由で伝わったらどう思うだろうか?

伝わることを考慮して言ったのなら、それは頭脳派でも何でもない。

「もっともっと自分に振り向いて~」という子供の発想だ。

だが、それらが許される人がいる。

それが配偶者であり、家族であり、もっとも信頼できる友人だ。

はけ口は常に用意されている。

そう思えば多少なりとも楽になる。

とは言え、多用は厳禁。

気持ちよいものではないからさ。  

Posted by monpa. at 2011年03月05日14:21