夫婦共働きの我が家では、校内に設置されている学童保育所にお世話になっている。
私も小学生の頃、6年生まで通っていた。
学童保育所に通わせてかわいそうだったとこれっぽちも思わない。
むしろ行って良かったと思っている。
当時はそれほど気にもしていなかったが、今考えると大きく分けて以下のようなことが思いつく。
①学年・他校同士の生活。
②様々な遊び体験の場
私の頃は、週に1回80円ほど握らせてもらい、近くの駄菓子屋さんへおやつを買いに行ったり、少し歩いた神社で缶蹴りしに行ったり、ナイフを使い、鉛筆やらリンゴの皮むきをしたりと色々なことしたものだ。
今では静清バイパス建設のため取り壊されてしまったが、私が通っていた『学童保育所 ひまわり』での当時の先生は、今なお現役で他の学童保育所で務められている。
人生の中で最初に体感した社会体験の場だったのかもしれない。
一気に世界が広がる。
そう感じるのは、今の息子が学童保育所に通い出してからなおさら思う。
ある日、長男坊が実家の父に
「ぼく、将棋がわかるんだよ!」
( ̄0 ̄;えっ
ホント驚いた。
私はオセロやカードゲームなら良く息子とやるが、将棋は全くの無知。
並べ方くらいはわかるが、その後がわからない。。
それが、私の父親と一緒に将棋を指そうというではないか。
私は驚いた。
そして、実家の父は喜んだ。

色々なことに興味を示す多感な時期。
前にも言ったが、親の役目は様々な道があることを示してあげることだと思う。
選ぶのは自分。
そのまま突き進んでも、いったん引き返しまた戻ると決めるのも自分。
それでも、子を見守る者としては、こうして欲しい、こうなって欲しいと願うもの。
実家の父には、子とできなかった将棋を、孫と出来る喜びが、相当うれしかったのだろう。
翌日、アパートの玄関に将棋セットがプレゼントとしてドアノブにかかっていた。

これでももっともっと練習してこい!
そしておじいちゃんと将棋を指そう!
と言うメッセージがヒシヒシと伝わってきた。
と言うことは何か?
長男坊の練習相手は必然的に私なのか??
と言うことは私も将棋を勉強しないと??
が、がんばるか。。(汗)